説明責任


専門分化が進む今、 技術者の説明責任(アカウンタビリティ、accountability)も重くなっている。 それぞれの分野の専門家が説明責任をきちんと果たしてこそ、 この複雑な現代社会が正常に維持される。

さて、説明責任という訳語で広く用いられるようになった 元々の言葉「アカウンタビリティ」は、本来は会計学の用語である。 「他人の財産を受託している者がそれをいかに管理し正しく処理したかを いつも証拠を示して説明できるようにしておく義務」という意味である。 これが今では行政その他の分野でも広く使われるようになり、 まずはカタカナとして日本に入ってきた。 当初は「透明性」とか「説明可能性」などと訳されたこともあったが、 現在では「説明責任」という訳が定着している。

「説明責任を果たす」とは、 その事柄について理解しようとする者に対し十分な情報を提供し、 理解してもらうことである。 これは知識の押し付けであってはならない。 望まない者に知識を押し付けることは専門家の傲慢である。 知識のレベルにはいろいろな段階がある。 どのレベルの知識を望んでいるかによって、 分かりやすい説明することも必要であるし、 専門的に高度な説明をすることも必要である。 誰に対しても同じような説明を繰り返すだけでは 説明責任を果たしているとはいえない。 まして意味不明な言葉を並び立てて 「責任は果たしたぞ」などと強弁するのでは、 説明責任はまったく果たされていない。 幸いなことに情報化社会では様々な情報伝達手段が発達してきている。 望むものが好きなときに様々なレベルの知識にアクセスできるようにしておくこと、 これが理想的な説明責任の果たし方である。

「啓蒙」とは「無知蒙昧な状態を啓発して教え導くこと」である。 そもそも「蒙」は「くらいこと」「無知なこと」であるから、 「専門家が啓蒙する」という表現には専門家が非専門家を下に見ている響きがある。 専門家は「啓蒙」に努めるのではなく、「知識の提供」に努めなければならない。
PA(パブリック・アクセプタンス、public acceptance) という言葉がある。 文字通り訳せば「公衆の受容」であり、 公衆の理解を得るための活動を指す。 その実態は理解してもらいたい側からの一方的な働きかけであり、 多くの場合押し付けとなる。 その反省から、環境問題や原子力分野などでは現在PAに代わり 「リスク・コミュニケーション」 の必要性が指摘されている。 その定義は 「リスクについて正確な情報を行政・事業者・国民等のすべてが共有しつつ、 相互に意思疎通を図ること」 である。 関心のある方は 環境省が開いているリスク・コミュニケーションのサイト を一読されたい。

啓蒙やPAからコミュニケーションへ、 専門家と公衆の関係は一方向から双方向の対話を目指して 変貌を続けている。

なお、日本人は「責任をとる」ということに関し やや特殊な考えを持っているところがある。 自分自身まったく知らなかったにも拘らず 部下が起こした不祥事の「責任をとって」辞職する。 そして事実の解明には協力しない。 これで本当に責任をとったことになるのだろうか。 「倫理」という観点から見て正しい行為と言えるのだろうか。 一度ゆっくり考えていただきたい。

技術者が製品の設計・製造・保守を行う際、規格や基準がある場合はそれに従う。 規格・基準は、製品の品質を保証し価格を抑える、 互換性を向上させて消費者の便宜を高める、などいろいろな役割を果たす。 その一つに「説明責任」もある。 特に公衆の安全に影響を与えるような技術分野においては、 どのように安全確保の努力をしているかについて 技術者みずから「技術基準」を書き表し公衆に示していくことが、 「説明責任」を果たす上で必要である。

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