学協会と倫理規程

学協会における倫理規程制定の動き

専門職集団の倫理規程の位置付け

専門職集団の倫理規程の歴史は非常に古い。 欧米においては聖職者、医師、弁護士などの法律家が 専門職集団として社会から認知されていた。 彼等は高度の専門知識と技術を持ち、一般の人にはできない、 かつ社会にとって不可欠なサービスを、責任を持って行ってきた。 その見返りとして、社会は高い地位と自治権をその集団に与えてきた。 その高い地位と自治権を確保するために、専門家集団は、倫理規程を制定している。

医学の分野で有名なものに ヒポクラテスの誓いがある。 これをみると「医術を自分たちの集団以外には伝えない」など、 集団の権利確保が色濃く出ている。 倫理規程が集団の権利確保を一つの目的として作られ始めたことは、 ある意味では事実である。

専門職集団は自らの利益追求のため行動するという考え方を「事業モデル」と呼ぶ。 事業モデルにおいては倫理規程さえも利益追求の一手段とみなされる。 すなわち「高い地位と自治権確保」の方策だとする。

しかしながら専門職集団の活動すべてを事業モデルで考えることには無理がある。 もう一つのモデルが「社会契約モデル」である。 社会契約モデルでは専門職集団は社会とある種の契約を結んでいると考える。 すなわち、専門家は、

  1. みずからを社会のサービスに捧げること、
  2. そのサービス提供においてみずからを規制すること、
一方で社会は専門家に、
  1. 栄誉とある程度の収入を与えること、
  2. 自治権を認めること、
の同意がなされているとする。 このモデルにおいては、 倫理規程は専門職集団が1.と2.について社会に約束する文書ということになる。

なお、この部分については なぜ専門職には専門職倫理が要求されるのか? の項も参考にされたい。

最近の欧米学協会における動き

欧米では多くの技術系学協会が独自の倫理規程を定めている。 ABET(米国工学技術教育認定委員会)のかつての倫理綱領 はそれらを集大成したものであった。 この綱領は、

  1. 基本原則(The Fundamental Principles)
  2. 基本憲章(The Fundamental Canons)
  3. 行動指針(Guidelines for Use with The Fundamental Canons of Ethics)
の3つの部分からなっていた。 基本原則には、誠実、名誉、尊厳といった技術者が求める理想が謳われていた。 7項目からなる基本憲章では、 技術者が最優先にしなければならない責務は 公衆の安全、健康、および福利への配慮であることをはじめ、 技術者としての能力、正直さ、公平さなどについて言及していた。 行動指針には、 憲章をより詳細に解釈するためのガイドラインとしての事項が記されていた。 なお、現在のABETの倫理綱領 は「認定」というABETの任務に特化したものとなっている。

我が国の技術系学会の動向と倫理規程

土木学会の倫理綱領の歴史は古く、昭和13年(1938年)に 「土木技術者の信条と実践要綱」を制定している。 他の学協会でも、 近年国際化の動きに対応することもあり、急速に進展した。 1996年、日本の工学系学協会としては戦後初めて、 情報処理学会が倫理綱領を制定した。 翌年には、日本学術会議基礎工学研究連絡委員会が 「工学系高等教育機関での技術者の倫理教育に関する提案」という報告の中で、 倫理規程の必要性について提言を行った。 その提言に呼応するかのように、1998年から1999年にかけて、 電気学会、電子情報通信学会、建築学会、土木学会、機械学会 などの諸学会が相次いで倫理綱領を制定、あるいは改訂している。

JABEEの発足と技術者倫理教育

日本版ABET を目指して、1999年11月に 日本技術者教育認定機構 (Japan Accreditation Board for Engineering Education, JABEE) が設立された。 技術者教育の認定を受けるには、その教育プログラムが、 分野を問わず適用される共通基準と、 専門分野ごとに設定される分野別基準を満たす必要がある。 定められている9つの共通基準の中に、 「技術的解決法の社会および自然に及ぼす効果、価値に関する理解力や責任など、 技術者として社会に対する責任を自覚する能力(技術者倫理)」が明記され、 技術者倫理教育が必要であることが示されている。

ABETでは、「分野別基準を示すのはその分野の学協会である」と考えている。 この考え方はJABEEにも踏襲された。 技術者倫理もその分野に即した内容で教えることが望ましい。 ということは、分野に即した倫理規程が教材として望まれる。 このことも各学協会が倫理規程を検討することに多少は影響を与えている。

学協会の倫理規程の必要性再考

学会に倫理規程は必要か

専門家集団である学会に倫理規程など不要と言う人がいる。

不要説の根拠は、学会を構成するのは個々の会員であり、 会員それぞれが高いモラルを持っていれば十分というものである。 不言実行こそ理想と考えているのであろう。 しかし会員でない大多数の人すなわち公衆にとって、 個々の会員の倫理観を知ることは困難である。 学会全体としてどのような理想を掲げているか示すことすら しない集団をどうして信用できようか。 倫理規程を掲げている集団より掲げていない集団のほうが 信用できるなどという論理は国際的に通用しないのは明らかであるし、 我が国でも必ず通用しなくなる。

倫理は書き表せるか

行動の規範などは人によってまちまちで、 文章に書き表すことは不可能という人もいる。 しかし本当だろうか。殺人や盗みや賄賂が悪であることは誰しも認める。 人によって微妙に差があるのは、 どこまでが盗みや賄賂に当るかという認識ではなかろうか。 鉛筆を借りて返し忘れるのは盗みか? 業者からカレンダーをもらうのは賄賂か? 簡単な事例はいい。 もっと微妙な問題になると確かに一概には判断できない。 ただ、認識が人によってどれくらい差があるか調べるには 「事例」を検討すればよい。 多くの事例について各会員はどう考えるかを議論すれば、 全会員共通の規範を求めることができる。

なお、規範は本来会員各自の宣言であるべきで、書き方もそのようにすべきである。 しかし日本語ではなぜかそれがしっくりしないことがある。 英語なら明らかに"shall"を使って表現すべきところ なのに、日本語だと「我々は・・する。」という宣言文になったり、 「・・をしなければならない。」という自分自身への命令文にしたりする。 命令文は他人からの命令と誤解されやすい。

倫理規程は多様な倫理観を認めるべきか

大多数の会員が同意した規程に賛成できない会員はどうすべきか。 どの部分にどのような理由で賛成できないかを明示すべきである。 大多数の会員がその主張を認めるなら規程を修正することになる。 大多数の会員がその主張に賛成はしないが許容範囲と考えるなら、 その旨を規程の説明に付け加えればよい。 大多数の会員がその主張は許容できないとする場合、 その会員は主張を取り下げるか脱会かを選択することになる。 「多様な倫理観を認める 倫理規程にすればよい」 などとおっしゃる人もいる。 そうだろうか。

倫理は紙に書くものでなく行動で示すものか

倫理規程なんかは、きれいな言葉だけ並べておいて、 細かい内容は会員各自に任すべきだという主張は今なお根強い。 「倫理とは紙に書くものではなく、背中で示すものだよ!」 と言った人がいた。 本当の話である。

いろいろな論争

大多数の人は倫理規程の必要性を素直に理解してくれるものと思う。 しかし、そうでない人もいることも事実である。 そういう人のために、まず 日本原子力学会倫理規程制定までに あった議論 を若干編集して紹介する。

どちらが正しいかの判断は読者にお任せする。

続いて、次の2つの意見を紹介する。 これらは、 「環境と科学技術者の倫理」、P. A.Vesilind、A. S. Gunn著、 (社)日本技術士会環境部会訳編、丸善 に載っているものを要約したものである。 要約したために分かりにくくなっている。 分かりにくかったら、原典を読んでいただきたい。

これらを読めば、倫理規程とは何か、さらには技術倫理とは何か、が さらによく分かるのではないかと思う。 ただ、ちょっと難しいので、興味がなければ読み飛ばして結構である。

ラッドとリヒテンバーグの論争に比べ、原子力学会のそれは「程度が低い」 と思われるだろうか。 私はそうだとは思わない。 ラッドとリヒテンバーグの論争は、 この問題を研究テーマとしている倫理学者の立場からのものであるのに対し、 原子力学会のそれは当事者の立場のものである。 当事者の立場でこのような論争が行われることは大いなる進歩である。 もちろん実りの ない論争 もたくさんあるが・・。

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