法と倫理


法と倫理の関係について考える前に、まず法とは何かについて知識を整理しよう。
そもそも法には「自然法」と「実定法」があるとされる。 自然法とは政府などが法を制定する前から自然に存在するとされる法であり、 自由権、平等権などの自然権を保護するものである。 自然権論者によれば、政府の主目的は自然権の保護であり、 自然権を保護しない政府への抵抗は正当化される。 一方の実定法は政府などによって定められた法である。
実定法は「成文法」と「不文法」に分けられる。 成文法はさらに「国際法」と「国内法」に分けられる。 不文法とは「慣習法」や「判例法」などであり、国際法は「条約」などである。 国内法は、「憲法」、狭義の「法律」、「政令」「府令」「省令」「規則」、 さらには地方自治体の定める「条例」などからなる。 国内法と国際法すなわち条約を合わせて「法令」と呼ぶが、 日常生活ではこれら全てを法律と呼んでいる。
さて、「法」とは何か。 「社会生活を規律する規範であり、国家権力等による強制的裏付けのある規範」 と定義するならこれは実定法だけのことを言っていることになる。 自然法まで含めて考えるとややこしいので、 以下ではこの定義で議論することとしよう。

法治国家においては社会生活は法によって律せられる。 法には普通罰則規定があり、したがってそれによる強制は強力ではあるが、 それだけでは全ての人の自然権を守るのには不十分である。
これについて杉本泰治氏は次のように述べている。 (杉本泰治・高城重厚著、技術者の倫理入門、丸善、2001.4)
  1. 法による制裁は人の自由を束縛(懲役、禁固など)したり、 人の財産に干渉(罰金、損害賠償など)する性格のものである。 したがって、人の権利を不当に侵害することがないよう、 適用の条件が厳格に規定される。 その結果、社会から非難されるようなことでも、法的追求を免れ、 法の網から漏れるという空白部分が生じる。
  2. 強力な法律を作って義務として強制しようとすればするほど、人々は、 責任を他人に転嫁して逃れようとする。 法を積極的に順守するよりも、法による制裁を逃れさえすればよいという 消極的な対応になりがちである。 そこにも法の空白部分が生じる。
  3. 事故が起きてから法律によって責任を問い制裁するのは、後追いの手法である。 いかに多額の損害賠償を得ても、失われた生命は戻らず、 失われた健康はしばしば回復不能である。 人の生命や健康にかかわることは、 起きないように抑止する歯止めとなる行動が必要だが、 それには法による強制はほとんど無力である。


杉本氏は「法と倫理は補完関係にある」という主張をされている。 上の図はその関係を図示したものである。 文章にして示すのは容易ではないが、我々は誰しも「常識」とか「モラル」 といったものを持ち合わせている。 これは成文化できてないという意味で、意識レベルにとどまっているものである。 一方、法とか倫理とかは規範として成文化できるレベルにある。 主として常識から法が、モラルから倫理が、規範として抽出されてくると言う。
杉本氏は、また、法は国家権力等に強制される他律的な規範であり、 倫理は自主的な順守が期待される自律的な規範で、その意味でも補完関係にある と言う。

「倫理」という言葉を既に成文化されたものに限るなら、この主張も受け入れられる。 しかし倫理とは成文化されたものだけであろうか。 倫理の定義を 「規範として書き表し得るもの」 ともう少し広く解釈するなら、倫理と法を同列に並べるのはやや無理があるように 感じる。 すなわち倫理のほうが「法より上位のもの」「法より広いもの」というのが 普通の感覚ではなかろうか。 もちろん、最初に述べた自然法も法に含めて議論するなら話はまた異なってくる。
「法」と「モラル」に関する私の感覚を下図に示す。



上下の軸は明確化のレベルであり、常識とかモラルというものは 一応意識されているものではあるが、必ずしも書き表されていない。 完全に書き表すことは不可能といってもよいものである。 ここで、モラルというのは常識に含まれるというのが私の感覚である。
明確化されているもの、すなわち成文化されているかあるいは成文化可能なものは 広い意味で「きまり」と呼ぶことができよう。 この明確化のレベルも多層構造であるが、ここでは細かいことは言わないことにする。 広義の法律すなわち法令は、きまりの一種であるが、公権力による強制が 付随しているという特徴がある。 倫理規程などはもちろん公権力による強制とは本来無関係である。 もっとも、例外的には「国家公務員倫理法」が定める 「国家公務員倫理規程」というのがあるが・・。
なお、図にはもう一つの座標軸を書き込んである。 きまりというものには、実体法のように本質的なものと、 手続法のように単なる約束事とがある。 手続きについてのきまりも大切なことは否定しない。 しかし 手続きにばかり拘って 本質を忘れてはならない ことは言うまでもない。
では「倫理」とは何か。 私の感覚では、モラルと倫理規程の間にあるもので、倫理規程も含む。 広義のモラルは倫理や倫理規程など全体を含む。 法と対比されるべきものは倫理ではなく倫理規程である。 そして倫理は手続きを論じるものであってはならない。 「人として何が大切か」という本質を常に問いつづけるものでなければならない。 ただ、このような感覚がどれだけ正しいかは自信がない。

倫理が法を補完する法と同列のものか、法とは異なる次元のものかという議論は 別として、法があるから倫理などいらないという意見はめちゃくちゃである。 まさかそのように考えている人はいないと信じたい。 倫理というものの必要性を認めるなら、それをできるだけ成文化し、 議論の対象としていくことは、倫理にまつわる問題解決にかなりの寄与できる。 倫理を語ることがタブーであってはならない。

技術者はもっと法律を勉強するべきである。 でもその理由は こう であってはならないことはいうまでもない。

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