技術倫理を支える学問

日本原子力学会で倫理規程を定める際、かんかんがくがくの議論があった。 その一つを以下に示す。
このような規定(倫理規程のこと)ができたとしても、事故はほとんど減らないし (皆無とは言いません)、企業活動の本質は変わらないと思われます。 むしろ、事故を起こした時、当事者への詰問のための根拠、学会のいいわけを作るにすぎない。 マスコミや社会の、学会や原子力への不信も変わらないし、また事故が起これば、 むしろ増幅すると思われる。 事故や経済性追求、糊塗や言い訳は、人間の性と言っても良い、弱さ、 本質にかかわるものである(と信じる)からです。倫理規定によって事故が減る、 安全性が増すなどと考えることはおこがましい。 事故はむしろ必ずあり得る。 そのことを正確に社会に伝える必要がある。 おそらく、どのようにしたら事故を減らせるかは、技術や組織の合理的ありかた、 学問やテクニカルな問題で、提案されたような倫理で改善することは殆どない。 どの程度の事故の大きさ、頻度、環境への被害まで受容できるかは、経済学や社会学、 またPSA等の進展から解答が出ると思われます。 安全性は技術ばかりか社会学、経済学、人間学、、にまたがる壮大な研究対象であり、 倫理規定で述べていることは結論に近い。 しかし、これを学問の立場からまず疑うものであります。

「倫理」の強調は精神主義を招き、技術や組織の合理的ありかた、 学問やテクニカルな問題などを軽視させることになる、との主張である。 そうだろうか。 それらに十分な配慮を払っても、事故や不祥事はなくならないのではなかろうか。

「倫理」と言うとなぜか強い反発を受ける。 それなら「社会性」でもいい。 「倫理観のない」技術者が引き起こしたとは言わないまでも 「社会性のない」技術者が引き起こした不祥事は数多い。 種々の学問の成果と技術者の社会性は事故や不祥事を減らすための車の両輪である。 この関係を下図に示す。

なお、技術者はともすれば「・・工学」には関心があるが、 人文科学、社会科学にあまり興味を示さない。 しかし「人間」を知り、「組織」というものを知り、「社会」を知らなければ、問題への対処はできない。 技術者は、政治学や法学も含め、もっと人文科学、社会科学を勉強すべきである。



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