なぜモラルを守るべきなのか?




「道徳」というと拒否反応を示す人がいる。 「道徳は教育で身に付くものではない」という人も多い。 しかし「道徳」という言葉に反感を感じる人も 普通道徳的な行動をしている。 なぜであろうか。
理由は簡単である。 自分はともかく、他人が道徳的でないと自分が困るからである。 人を傷つけるのがよしとされる社会では、 いつ斬り付けられるかいつも用心しなければならず、 快適でない。 そんな社会は困る。 他人に「人を傷つけるな」という以上、 自分も人を傷つけることはできない。 お互い様という訳である。 皮肉屋は、 「要するに人は自分がかわいいから道徳的に振舞うのだ」 というであろう。 性悪説の立場からも「道徳」の存在は説明できるのである。
しかしそこまで皮肉っぽく考えることもない。 人は本能的に「社会に貢献することに喜びを見出す」 ものだという主張もあろう。 ときとして「正義感」「使命感」は「生存本能」すら 抑えることがあるのも事実である。 ただ皮肉屋は、これも「生存本能以上に何かを 成し遂げたいという本能が強いだけさ」というかもしれない。
「なぜ人が道徳的に振舞うか」はともかく、 人は普通はまあまあ道徳的行動をしているといえるだろう。 この「道徳的行動」とはどんなものか。 これは誰が決めたものでもない。 しかし結果的にだいたい人類全体に共通のものとなるのである。 要するに 「人の嫌がることはしない」が原則である。 これは皮肉屋も正義漢も同意するであろう。
もうちょっと「倫理学的」な説明が欲しいかたは ここも見てください。

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