「原子力学会倫理規程」雑感

班目春樹


日本原子力学会では、2000年の11月から学会倫理規程の原案を ホームページに掲載し意見を公募した。 集まった意見を参考に見直しを行った上、 2001年6月の総会で倫理規程のうちの「前文」と「憲章」が決定された。 「行動の手引」は少し遅れて9月の理事会で承認された。 「遅い」と批判されるのは覚悟しているが、 準備を始めたのはJCO事故の前であった。 JCO事故ゆえに慎重とならざるをえず、 なんとか制定まで辿り着いたときはほっとした。
倫理規程は今後も改正し続けられるべきものであり、 できあがった姿よりも議論の過程こそが大切だと思う。 それゆえ、 日本原子力学 会では倫理規程について常に意見を求めている。 どんな意見でも結構なので、頂戴できればありがたい。
倫理規程作りは勉強になった。 第一に無宗教であり(日本人としては普通?)、 第二にイデオロギーにはアレルギー反応を示し(全共闘世代の症状?)、 第三に道徳教育などと聞くと胡散臭さを感じ(戦後教育の失敗?)、 倫理なんていう訳の分からないものに関わらなくて済むだろうと 理科系を志した者が(これは嘘かな?)、 何ゆえこんなことしなければならないのかというのが 作業開始前の正直な感想である。 しかし、無宗教者であっても生きていく上での規範は持っていると自負している。 道徳という言葉に気恥ずかしさを感じつつも 不道徳な生きかたをしているわけではない。 そんな平均的日本人に今必要なのは、 人間一般としての道徳よりそれぞれの立場における倫理の明確化ではなかろうか。
日本人は「たてまえ」と「本音」を分けるのが好きである。 ある立場になれば本音はどうあろうともその立場でのたてまえで行動する。 その立場の倫理とは何かを深く考えもしない。 本音と違うからということで倫理にもとる行動すら平然とやってしまう。 人は家庭人や職業人など多くの立場を兼ねるが、 それぞれの立場に要求される倫理は異なっており、 それらが明確にされているべきである。 倫理を公表できないような職業や組織はあってはならない。
専門家には専門家としての倫理があるという当たり前のことを 日本人もようやく自覚し、 国際的に通用する技術者教育の問題とも絡んで学会倫理規程が制定され、 大学などでも教育されるようになりつつある。 これは本当にいいことだと思う。 新聞を賑わす多くの社会問題の根底に専門家倫理の欠如がある。 残念ながら原子力界もその代表例であったといわざるをえない。
ここでは細かいことまで紹介できないが、 上述した「組織人と個人の関係」の他、 「利害の相反の回避」など文章を検討しながらずいぶん考えさせられた。 一般論として考えたのではなく自らの日々の行動と照らして考えたのである。 この機会に皆様にも是非考えていただきたい。 私は聖人君子だから必要ないなどとおっしゃらずに。 倫理規程がなかったということはその機会を失わせていたということである。 この規程は字面だけ眺めてもちっとも面白くないが、 体験に照らしてじっくり考えると実に奥が深い。頭の体操としてもお勧めする。
「倫理」について考えること以上に、それを守ることは難しい。 倫理規程作りのこともあって忙しくしていて、 学生の成果発表会をさぼってしまった。 その後の教室内の会議議事録に「教育に対する教官側のモラル」の問題とあった。 あちゃあ・・。 ごめんなさい。

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