原子力安全委員会の役割

事故時の役割を中心として

  1. 法令上の職責

    1. 法令上の原子力安全委員会の位置付け
    2. 国の行政組織は国家行政組織法で定められている。その第3条に基づく委員会を3条委員会と呼び、その別表第一に記載されている。平成24年9月に廃止された原子力安全委員会はそれには該当しない。第8条に「国の行政機関に合議制の機関を置くことができる」と書かれていることに基づく8条委員会と呼ばれるものである。8条委員会はあくまで、諮問的・調査的な合議制機関に過ぎないとされ、みずから行政処分をすることはできない。すなわちいわゆる審議会である。

      原子力安全委員会は他の8条委員会に比べ強い権限を与えられていたとされる。その根拠は委員会設置法の24条に「必要があると認められるときは内閣総理大臣を通じて関係行政機関の長に勧告することができる」と書かれていたことである。しかしながらこの勧告権が使用されたのは、平成14年に東電福島第一1号機の格納器漏えい率検査の偽装問題などを受け、経産大臣に「原子力安全の信頼回復に関する勧告について」を出したときだけである。

      なぜこの勧告権がもっと頻繁に使用されなかったのか。その理由の第一は原子力安全委員会が十分な調査能力を有しておらず、関係行政機関から報告がない限りその業務内容を把握し得なかったことにある。第二の理由は、関係行政機関は行政作用法である原子炉等規制法などに規定されていない事項については報告義務を負わなかったことである。義務がないのに報告したために原子力安全委員会から注意を受けることなどは避けようとするのは当然といえば当然である。

      東電福島事故時の原子炉等規制法に「原子力安全委員会の意見を聴かなければならない」と出てくるのは第4条、第14条、第23条、第24条、第43条の4、第43条の5、第44条の2、第51条の2、第51条の3と多いようにみえるが、いずれも製錬、加工等の事業の開始や原子炉の設置の許可に関するものだけで、運転段階では必ずしも意見を聴かなければならないことにはなっていなかった。ほかに、第72条の3に四半期ごとの検査等の実施状況に関する報告義務が規定されてはいたが、これはどうしても通り一遍のものとなりがちであった。

      原子力安全委員会には規制調査課が置かれ、その所掌事務として運転段階での規制に関する調査も挙げられていた。これに対応して東電福島事故時の原子炉等規制法第72条の4には原子力安全委員会が調査を行う際には協力しなければならないと規定されていた。これをもって原子力安全委員会は関係行政機関の活動全般を監視・監査していると称していたわけであるが、予算も人員も限られており、どのような調査をしたらよいのかが大きな悩みであった。参考までに規制調査の変遷をここに置いておく。

    3. 事故時の職責
    4. 東電福島事故のような事故時の対応について、当時の原子力災害特別措置法第17条には次のように記載されていた。
      第17条
      6 原子力災害対策本部員は、次に掲げる者をもって充てる。
      一 原子力災害対策本部長及び原子力災害対策副本部長以外の国務大臣のうちから、内閣総理大臣が任命する者
      二 内閣危機管理監
      三 副大臣又は国務大臣以外の指定行政機関の長のうちから、内閣総理大臣が任命する者
      7 原子力災害対策副本部長及び原子力災害対策本部員以外の原子力災害対策本部の職員は、内閣官房若しくは指定行政機関の職員又は指定地方行政機関の長若しくはその職員のうちから、内閣総理大臣が任命する。
      このことから、原子力安全委員は原子力災害対策本部の正式構成員ですらなかったことは明らかである。ただし実際の運用としては、原子力緊急事態が発生した場合、原子力安全委員長は原子力災害対策本部の会合に陪席することになっており、委員長代理が出席した3月12日朝9時過ぎからの会合以外はすべて出席している。

      原子力安全委員会の役割として同法では他に、第15条と第20条において次のように定めている。
      第15条
      4 内閣総理大臣は、原子力緊急事態宣言をした後、原子力災害の拡大の防止を図るための応急の対策を実施する必要がなくなったと認めるときは、速やかに、原子力安全委員会の意見を聴いて、原子力緊急事態の解除を行う旨の告示(以下「原子力緊急事態解除宣言」という。)をするものとする。
       第20条
      5 原子力災害対策本部長は、原子力緊急事態の推移に応じ、原子力安全委員会の意見を聴いて、当該原子力災害対策本部に係る原子力緊急事態宣言において公示された第15条第2項第1号及び第3号に掲げる事項について、公示することにより変更することができる。
      6 原子力災害対策本部長は、当該原子力災害対策本部の緊急事態応急対策実施区域における緊急事態応急対策を的確かつ迅速に実施するために必要があると認めるときは、原子力安全委員会に対し、緊急事態応急対策の実施に関する技術的事項について必要な助言を求めることができる。
      ここに、第15条第2項第1号は緊急事態応急対策を実施すべき区域であり、第3号は第1号と第2号に掲げられている原子力緊急事態の概要のほか、第1号に掲げる区域内の居住者、滞在者その他の者及び公私の団体に対し周知させるべき事項である。原子力緊急事態発生直後に重要なのは第20条第5項と第6項であり、特に緊急事態応急対策を実施すべき区域の変更にあたっては原子力安全委員会の意見を聴くことになっている。すなわち、緊急事態発生時における原子力安全委員会の位置付けは助言機関である。

      法令上、避難区域の変更には原子力安全委員会の意見を聴くこととなっており、本来は委員会を開催して委員会としての意見をまとめるべきところである。しかしながらマニュアル通りでは対応できないとの判断から、臨機応変の措置をすることを申し合わせ、必要に応じ委員長が口頭で助言した後、他委員の了承を得るなどしたことも適切であったといえる。

      事故当初、原子力安全委員長及び委員長代理は原子力災害対策本部長である内閣総理大臣から多くの質問に回答しているが、この対応は法令の趣旨に沿ったものであり、適切であった。

  2. 各種事故調査委員会の結論
  3. ここではあくまで事故当時の原子力安全委員会の対応の適切性に絞って述べる。海水注入中断問題などについてはこちらを、SPEEDI問題などについてはこちらを読んでいただきたい。

    1. 東京電力福島原子力発電所における 事故調査・検証委員会(政府事故調)[1] [2]
    2. 政府事故調は平成23年12月26日に中間報告を、平成24年7月23日に最終報告を公表している。原子力安全委員会の事故直後の対応については、中間報告では「Ⅲ 災害発生後の組織的対応状況 2 事故発生後の国の対応 (5) 安全委員会の対応」にまとめられている。ここでは事実関係の記載しかないが、官邸からの要請に基づき委員長及び委員長代理が官邸での協議に参加し、他機関からの助言要請には他の安全委員や緊急技術助言組織メンバーで対応、法令により求められた事項に関する助言には事後的に委員会の了承を得るなど、最大限の対応をしたことが記述されている。「Ⅶ これまでの調査・検証から判明した問題点の考察と提言 3 事故発生後の政府諸機関の対応の問題点」の中では、原子力災害現地対策本部の問題点と原子力災害対策本部の問題点が取り上げられているが、原子力安全委員会の対応に関する問題点の記述はない。最終報告の「Ⅲ 災害発生後の組織的対応状況 2 事故発生後の国の対応 (4) 安全委員会の対応」では、3月28日以降の事務局態勢強化の記述が加わっただけであり、「Ⅵ 総括と提言 1 主要な問題点の分析 (2)事故発生後の政府等の事故対処に関する分析」でも特段の問題点の指摘はない。

    3. 国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)[3]
    4. 国会事故調は平成24年7月5日、報告書を両院議長に提出している。その中の第3部「3.2 政府による事故対応の問題点 3.2.3事故対応を支援する組織の状況 2) 原子力安全委員会」には、地震・津波による交通機関や通信の混乱について事前に想定していなかったこと、安全委員2人と事務局長が官邸に滞在したため組織としての能力を発揮することが著しく妨げられたこと、多くの官公庁から必ずしも技術的問題ではない質問も多く寄せられ能力を超える負担となったことなどが記述されているが、その責任を原子力安全委員会に負わせることには無理がある。

      また「3.3 官邸が主導した事故対応の問題点」の中に「官邸5階には、保安院幹部、安全委員会委員長、東電関係者らが助言者として集められたが、これらの関係者は官邸政治家の説明要求を満たせず、官邸政治家たちは不信感を募らせていった。」との記述があるが、そもそも現地の情報がほとんどない状況下での説明には限界があり、問題はむしろ助言者の資質ではなく、政府事故調最終報告の記述されているように「オフサイトセンターのような情報集約機能を果たす人的・物的仕組みがないまま、不十分な情報の下で次々と判断を迫られるという事態が生じた」ことのほうにあると考えるべきである。「菅総理、海江田経産大臣、枝野官房長官等の関係閣僚、総理補佐官・総理秘書官等の官邸幹部スタッフ、保安院の幹部、班目委員長、武黒フェローをはじめとする東電幹部らが、官僚機構とは事実上分断された状態で、限られたプラント情報等を基に、避難区域の設定をはじめとする事故対策を実質的に決定していった」ことに関し、原子力災害対策本部の正式構成員ですらない原子力安全委員会が責任を負わなければならない理由はない。なお、国会事故調報告書には「官邸5階に集まった関係者の目には、「一生懸命答えてはいた」と映った班目委員長」と明記されている。

      「3.4.2 官僚機構に関する評価 2)平常時の意識にとらわれた受動的な対応 b. 安全委員会における問題」では「班目委員長らが官邸5階での協議に加わっている間、同委員長らに対し、他の安全委員や安全委員会事務局から必要資料の提供等のサポートが行われた形跡はなく、班目委員長らは、基本的に自らの知識のみをもとに説明や助言を行っていた。こうした状況は、安全委員会事務局に、班目委員長らを組織的にサポートしようという姿勢が不十分であったことによって生じたということができる。」との記述があるが、官邸の総理応接室等への入室は厳しく制限されていたことを考えると厳しすぎる指摘のように思われる。「確かに、安全委員会は、原災本部長等の要請を受けて助言を行うことが想定されている。しかし、自ら積極的に助言をしても、それが法の趣旨に反するとはいえない。本事故のようにマニュアルのない事態においては、マニュアル等で想定された助言だけではなく、国民の生命、身体等の防護という観点から自ら主体的に行動するべきであった。」との記述も、安全委員会の人的資源の制約を考慮した記述とは思えない。

    5. 福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)[4]
    6. 民間事故調の記述はインタビュー内容をそのまま収録したもので、その中に原子力安全委員会の事故当時の職責についての評価はない。ただ、インタビュー当時はっきり記憶していなかったことから第2部第3章第1節の2.「1号機の水素爆発及び海水注入に関する経緯」のなかに「班目委員長は爆発映像をみて「水素爆発だ」とすぐに思いついたが、首相の原発視察同行時「水素爆発はない」と答えていたこともあり、茫然自失してそのことを「誰にも言えなかった」と証言する。」との記述があるが、その後出版された下村健一氏の著書に次の記載がある[5]。

      12日の夕方、誰か(秘書官だったか補佐官だったか、記憶がはっきりしない)が総理執務室に血相を変えて飛び込んで来て、テレビで爆発の映像が流れていることを告げた。すぐにチャンネルをNHKから日本テレビに変えて、僕らは原子炉建屋から煙が立ち上がるあのシーンを見た。一瞬言葉を失った後、あきれ果てて憤りが抜け落ちてしまったような、妙に穏やかな口調で、菅さんは目の前の班目委員長に言った。
      「爆発しないってあんなに言ってたじゃないですか・・・」
       班目さんは、無音声で、
      「あー・・・」
      と呻くと、両方の手で頭を抱えて前屈し、しばらくそのまま動かなかった。クサい演技のドラマの中だけでなく、現実の世界でも人間はこういう時、こういうポーズを本当に取るのか、と僕は茫然と見つめるしかなかった。こちらが頭を抱えたくなる思いだった。
       やがて、上体を起こした班目さんは、何が起こったと推測されるか、菅さんに向かって淡々と考えを解説し始めた。
      「おそらく炉心が空だき状態になった時、水蒸気と被覆管の金属が化学反応して、水素が発生し、圧力容器の安全弁が開きっ放しだったので、その水素が格納容器内に出て行って・・・・・・」
       すらすらと続く解説を僕はあわててノートに書き取った。それは丸1ページが埋まる長さだった。爆発という《結果》を目の当たりにすれば、こうして逆算の思考スイッチが入って、たちまち仮説が構築できるのだ。ということは、事故前から真剣に爆発の《可能性》を考えていれば、同じ道筋はわかったはずではないか。原発立地住民の不安を鎮めるため、という目的を超えて、原発安全神話に専門家自身がすっかり洗脳されてしまい、真剣な想定をしてこなかったことの証ではないか。

      すなわち、爆発は建屋に充満した水素によるものだと解説していたものと思われる。

  4. JCO臨界事故対応との違いについて
  5. 東海村JCO臨界事故が発生した1999年当時、核燃料加工施設である株式会社ジェー・シー・オー(JCO)の監督官庁は科学技術庁で、原子力安全局が担当していた。一方で、原子力安全委員会の事務は科学技術庁原子力安全局原子力安全調査室が担当していた。したがって原子力安全委員会は規制行政庁と密に連携して動ける体制にあった。平成12年に原子力安全委員会の事務局は科学技術庁から総理府(平成13年に内閣府)に移管された。平成13年には科学技術庁が文部科学省に統合され、新たに発足した原子力安全・保安院が核燃料加工施設の規制行政も担うことになった。これにより、原子力安全委員会の原子力発電所の規制への関与は主として、規制行政庁である原子力安全・保安院の監視・監査ということになり、規制行政庁にとって煙たがれる存在となった。

    規制行政庁である原子力安全・保安院は煙たい存在である原子力安全委員会には自らの業務について最低限の情報しか渡さないようになっていた。このことが東京電力福島第一原子力発電所事故の対応における規制行政庁と原子力安全委員会の連携に悪影響を与えていた可能性もある。

    JCO臨界事故の対応に当たった当時の原子力安全委員長代理の住田健二氏は、東京電力福島第一原子力発電所の事故後、衆議院決算行政監視委員会で次のように述べている[6]
    (原子力安全委員会が前面に立ち、政治の方はバックアップしたという形について問われ)ジェー・シー・オーの事故のときも、原子力安全委員会というのは本来は行政委員会ではなくて諮問委員会でございます(中略)原子力安全委員会が何でもかんでも前に出てやるということについては、私は個人的にも反対(中略)諮問に答えてベストを尽くすということであって、みずからが陣頭指揮して何かをやるということではない(以下略)
    JCO臨界事故の際、住田健二氏は現地対策本部で活動しているが、当時も事故への直接対応は規制行政庁の責務であったと述べている。

    東京電力福島第一原子力発電所事故においても、原子力安全委員会は代谷誠治安全委員と事務局職員1名を直ちにオフサイトセンターに派遣すべく準備したが、輸送人数に限りがあったことから事務局職員1 名のみの派遣となった[1]。この違いは交通事情からくるものである。

  6. その他
  7. 政府の防災基本計画では原子力災害発生時に「緊急事態応急対策調査委員」らを現地に派遣すると定めているが、福島市の現地対策本部に専門家2人を派遣したのが4月中旬となったことについては、原子力安全委員長は率直に「これは本当に失敗だったと反省しております」と述べている[6]。また、原子力安全委員長が事故発生から12日間に渡って取材を拒否し続けたとの指摘もあるが、最初の1週間はほとんど委員長執務室にいることができない状況にあり、その後も原子力安全委員会の態勢立て直しに忙しく、他機関のような取材対応は無理であった。なお、3月23日にはSPEEDIの試算結果について記者ブリーフィングを行い、その後は記者ブリーフィングを定期的に実施している[7]

    前述したように、原子力安全委員会設置法の24条に、必要があると認められるときは内閣総理大臣を通じて関係行政機関の長に勧告することができる、と書かれている。ただこれは安全の確保のための規制に関することなどに限られ、原災法の適用についての勧告権までは与えられていない。

    事故発生直後に原子力安全委員会は臨機応変に対応せざるを得ないと合意したが、法律の定めを超えて動くことはできない。そのことについては事務局の注意もあり、委員も皆よく認識していた。

  8. まとめ
  9. 原子力安全委員会の位置付けは助言機関であり、当時の交通機関や通信の混乱のもとでは最大限の対応をしていたと評価できる。しかしながら、事故の拡大を防ぐための有効な助言を十分することができなかったことも事実である。国会事故調が指摘する「マニュアル等で想定された助言だけでない、国民の生命、身体等の防護という観点からの主体的に行動」とは何かしっかり議論しておくことは、今後万一発生するかもしれない想定を超える事故への備えとして重要である。助言の発出以上に大切なのは、事故拡大の防止のための対策の素早い実施である。対策実施機関と助言機関が別の省庁にあり、密な連携をとりにくい体制はたしかに問題であった。原子力規制委員会、原子力規制庁が発足し、一元化がなされたことはこの問題を解決したものであり、今後の原子力規制委員会の活躍に期待したい。



文献
  1. 東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会中間報告(政府事故調)
  2. 東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会最終報告(政府事故調)
  3. 国会事故調東京電力福島原子力発電所事故調査委員会報告書
  4. 福島原発事故独立検証委員会調査・検証報告書、日本再建イニシアティブ(民間事故調)
  5. 首相官邸で働いて初めてわかったこと、下村健一、朝日新書、p.146.
  6. 衆議院決算行政監視委員会会議録 平成23年04月27日
  7. 原子力安全委員会記者ブリーフィング